私が就職した関西に本社があるとある流通企業からの配転によって、外食産業といわれるお店の店長として赴任した場所が、神奈川県の厚木というところ
国道246号線ロードサイドにある100席程度の所謂「ファミリーレストラン」でした。
市場が拡大傾向にある時代で同業各社出店競争が激化している真っ最中の頃
レストランでの食事が贅沢感あったころにリーズナブルでしゃれた店、マニュアル化されたサービスと均質の料理に多くのお客が週末におとずれ家族での華やかな食体験を満喫していました。
郊外の住宅に住む家族が週末にそろって外食を楽しむ・・というのが一つのレジャーとして定着しかかった時代ともいえるのです。ですから、出店しさえすれば繁盛する。といった公式に各社場所取り合戦の様相を呈していたのです。客単価がおおよそ600円〜800円程度、客数が月間25,000〜位として月商が1500万〜2000万、100席程度の店としては当時かなりの繁盛店です。
日祭日ともなると1,000人以上の来客があったという経営としては上出来な販売力で且つ売上対比の利益率は20%強という、益率からいえばスーパーの10倍以上、食品スーパー業態によっては益率1%ぐらいでしたから20倍ということになります。・・・こんなうまい商売を見過ごすわけにはいかん・・とばかり流通小売業の経営者はこぞって外食産業へと参入していったのです。
一時期は全国に100社程度の外食会社が存在していました。今思い出してる店の多くはすでにありませんが・・・とにもかくにも産業化ステップの第一世代の話です。
従来の水商売感覚の経営から脱却しなければならないとばかり、各社大卒の社員を大量に入社させ近代感覚の経営手法を導入し積極的に勉強していったわけです。その際に学んだものは米国の軍隊組織から発した組織論というものであり、のち我が国においては「チェーンストア理論」という一種の学問として我々当時の社員たちは徹底的に学んでいったのです。
しかし現実は急激な出店に人材が追い付かずなかなか理論の実践化というところまでは未達。とはいえ前に進まなければということなのでかなりのハードワークだったことは事実。今なら完全なるブラック企業ですね月に一度あるかないかの休日、大体一日12時間以上の店舗勤務、本部での勉強会などともかくもみな生き生きと働いた時代。我が国の外食の社会的地位を上げるのだといった意気込みだけで日々を送っていったと記憶しています。
なにせ30代そこそこの店長がそれぞれの店舗年商2億の管理してるのですから地方に行けばちょっしたおおだなの若旦那みたいなもんですよね、そんな我々が自分より年上の調理師さんやパートのおばちゃんを使っていくんだから肉体を駆使したリーダシップをとるしかないでしょ。
このころのエピソードは次回に
コンティニュー・・・
今日の落書き👇
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