2025年09月23日

デザイナー所感

人生というものは日々の何気ない平凡な出来事によって淡々と過ぎていきます。その淡々と流れる時の経過に時たま事件が勃発し、或る時は慌てパニックになり、ある事件は今までの体験によって培われたノウハウによって解決していく。


 今回はどうだったか、何が問題で発生したのか、その原因とは何だったのか、こうすればよかったとかまずかったとか・・様々に問題解決という行為によって、僕たちの人生はより豊かなものになって行くのである。


 個人的な問題も団体における問題も同様な思考プロセスによってルール化しておくと便利であります。

チェーンストアの教科書にはこれらの一連のプロセスを標記のごとく「観察・分析・判断」という思考プロセスを解説しています。

観察とは文字通り客観的に現象、出来事を観るという事(見るという言葉でなく観るといった点は物事を俯瞰しているということでこの時点で一切の固定観念なるものを排除し純粋に出来事のみを観るという事)

であって、出来事を記録するという事になっています。例えばあるチェーンストアの中で品切れが続出している。という指摘をお客様から頂いたとする。この事件を観察したという事です。

分析とは観察した結果からその原因を探るという行為となり、いろんな角度から分析していきます。この品切れというケースを考えてみよう。


 まず売り場にその商品がなかったという事から導かれる要因の一つはバックヤードに在って売り場にない、つまり陳列計画の問題であって現場作業が停滞していたか・・・要因2として仕入れのミスの場合は仕入れ先に在庫が不足していたかもしくはストア担当者の仕入計画のミスかはたまた流通経路でのトラブルか、などがあげられる・・・こうした分析を瞬時に行うべしと教科書にはかいてあります。

 突き詰めていくといくつかの要因の大本は日々の在庫管理に尽きるという事になります。棚卸による在庫、POSシステムの活用方法の精度アップによる商品出数の予測と自動発注の仕組み、発注時点とリードタイムの関係、ロット数、広告の有無、重点販売の仕組みの改善など多くの要因が考えられるのです。これらを「分析する」といい次の「判断」という事になります。所謂実行段階に移るわけですが果たしてそれでいいのかという事を日々検証していき、再度観察というところにもどっていくのです。


プラン・ドゥ・シーといったマネジメントサイクルでいえば観察とはシーの事、プラン・ドゥーは判断と分析

という事でしょうか


 さて、2500年前にお釈迦様がとなえられた「八正道」という教えは見事に上記の点を捉えています。八正道とは自らをいかにマネジメントしていくかの方法論として大変興味深い教えであります。

 八正道とは 正しく見る 正しく思う 正しく語る 正しく仕事をする 正しく生きる 正しく道に精進する 正しく念じる そして正しく定にいる。の八つになります。


 正しく見るということは正しく観察するという事になるだろうし、正しく思うとは正しい生き方の基準をもって考えようという事だから

正しく語るとはみんなが理解できる言葉を使おうということになり正しく仕事をするということは正確な行動、作業をせよという事になります。正しく生きるという事は自然の理屈、物理学上の定理を活用しろという事とそれらと調和していこうという科学が存在している事を知れということ 正しく精進せよとは人間関係の上でも正しく見、思い、語り 行為せよという事を言われている。


 正しく念じとは・・・念とは願いであり願望でありある意味目標なのだから、綿密な計画を立てろという事

定にいるとは、すなわち反省して日々の生活に生かせよといっていると思うわけです。


 反省は必ず善意なる第三者の立場で自らの想ったこと行ったことについて観察するといった姿勢を持つことが大切であり、普段の自分を省みるという作業はなくてはならないものだと思っています。

 仕事も人間関係も家庭環境も身体の健康もすべてはうまくいくようになっているのにそうなっていない項目があるとすればそれは自己中心的な思いと行いが障害になっているのです。







posted by 筆文字や隆庵 at 11:19| Comment(0) | イラストデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月27日

自己ブランドの構築

IMG_6344.JPG一時期「自分探し」などという言葉が一部の若者たちの間ではやった。

今おかれている状況は自分らしくなくてつまらない、だからといって何にが自分にとって正解なのかもわからない・・・旅に出てそれを探そう・・・といった周りから観たら実に浅はかであり、滑稽な若者だなぁなんてしたり顔している自称成熟した顔をした大人たちがいる。そんな大人がたびたび転職しているのであってそれもまた「自分探し」ではないのかと思う次第である。

そもそも人間とは何か?人生の意味は何か?などといった哲学的な思索にふけることも、実のところ日々刻々と流れて今という現実を創っている事に気づくことなく思っているだけなのだ。

 過去があり今があるという事を知るならば、今の自分は過去の自分が創り上げた一つの作品のようなものである。という事を認識したうえで本来の自分を改めて創り上げていこうではないか。

本来才能能力というのは万人が有するものである、それぞれが個性豊かな人間たちから成り立っているのがこの世界なのに、そのことを忘れている人々の多いこと。

おおよそ、才能能力を発揮したいのにできないという人の特徴を挙げてみると

1.常に心の中に怒り・愚痴・不平不満・後悔・疑い・足ることを知らない欲などが渦巻いている

2.過去のことにこだわっていて一種の固定観念の塊になっている・・・蚤のサーカスの話し

3.不平不満がありながらも現状に甘んじている・・・ゆでガエルの話し

4.どうせ自分なんかといった未来を悲観している

これらの心がある以上本来の自分にはたどり着けないのである。


モヤッとして漠然とした思いだけではこれらの問題は皆生できないという事を知らなければならない。

 自分ブランド確立のために必要な第一歩として理想の自分を紙に書くことを勧めている。

 書くことによって思うことが整理され方向性を見出せるようになり具体化のための行動が起こしやすくなるというわけだ。

 自分を俯瞰して観る・・・自分を第三者、客観的に観ることによって冷静になれる。

 今や世界一のアスリートといわれる大谷翔平選手の高校時代に書いた

マンダラートというフォーマットが参考になるものと思う

目標設定シートは様々な分野にて開発されているのでためす価値があり
posted by 筆文字や隆庵 at 20:24| Comment(0) | イラストデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月16日

インナーブランディングの事

事典によると「インナーブランディング」とは企業や店の理念やビジョンを従業員に浸透させる社内向けのブランディング活動の事。


 自店で働くメンバーは共通の認識を持ってこそユーザーに伝わるわけで単なるお題目のようなスローガンではなくて、実務に裏付けされたものでなくてはならない。

 スタッフ一人一人の態度や仕事への取り組み方、お客様の目に触れるもの、接触されるもの、五感で感じるすべての情報には自店らしさの意味をもっていなければだめで、この内容(コンテンツのすべて)を日々の会話の中に必然として存在している事。またミーティングにて伝えておくことを忘れないでいたい。共通認識、方針の徹底こそブランディングの柱だと思います。

 「私たちの想い」としてキャッチフレーズ化しているお店もあってお客様の目に見える場所、例えばレジの場所、フロントカウンターの場所などに提示しているケースもあります。

 今回は先週訪問した旅館での女将の話しを紹介します・・・

人手不足の解消ということで旅館内の必要作業を細かく分類し 2〜3時間のパート作業として数人にやってもらってるのですが、その際は必ず各作業の意味を伝えることにしています。

 何のためにこの作業をしているのかという事です。全体の在り方として、私たちの旅館に訪れるお客様がみな「心の安らぎ」を感じていただくために存在しているという事をまず理解していただきたい事をスタッフに伝えます。まぁ基本理念というものですかね、そのことを念頭に置いてくれたならば、そのお客様自身が帰られた後に明日からの活力を得て元気で健やかな社会生活を送っていくことが、最大の目的だという事を認識したうえでの作業が出来ると思うのです。

 そのために清掃があり、食事準備のテーブルセッティングがあり、風呂の清掃あり、ロビーの整理整頓あり、庭の掃除があるのです。

 これら一連の仕事はおもてなしの心の表現としてスタッフ各人の使命でありそのことが各自の喜びとなって行くはずです。たとえお客様と顔を合わすことのない時間帯と場所とで仕事していても必ず心は伝わります。すべての仕事の先にはお客様の「心からの笑顔」にがあるんですと、常日頃の雑談の中で話しています。

 全てはお客様の笑顔のためにが、スローガン、口癖のようなものですね。

 という事でした。

私はデザイナーとして、スタッフ各人のためにお客との対話がしやすいようなブランディングツールを用意することを働き甲斐になっているという事です。

posted by 筆文字や隆庵 at 15:53| Comment(0) | イラストデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月22日

リーダーの仕事と役割

どのような組織にも核というものが必要であるという事は、私たちが住んでいる地球という名の星、もちろん太陽系の中にあるのですが、そこには「太陽」という核となるーダーの存在があるという事、所謂地球という生命体を維持させている。組織をまとめている太陽のような存在・・・これをリーダー星と呼ぶ。太陽を中心とした惑星はそれこそ秩序をもって自転、公転を続けている。互いに引力、重力によって各自円運動しながら全体も大きな円運動をしている。このことをともかくも理想のチーム、組織として捉えて様々な人間たちの組織を考察してみる。



私自身の仕事人生の中での体験ですが、チームリーダー(主に会社組織の話し)の心構えや行動によって、業績が異なるものだという事を知ることが出きました。組織の目標を達成するのに自らが率先してアイディアを出し自らが動き、部下を引っ張っていくやり方が得意な経営者がいました。個人の力量もあり業績はまずまずであり、一営業マンとして社内のトップの成績をおさめながら会社の社長として財務、人事、渉外と八面六臂の活躍を自慢していました。

小規模事業の社長なら当たり前のことかもしれませんが、当時その会社は(住宅建築及び販売)すでに年商50億を超え、中小企業としての位置付けになっていました。

 問題は彼がすべての決裁を行っていたために部下それぞれが考えることを躊躇し、社長に指示されたことしかできない組織になっていました。という事はおのずと業務が滞り始めると、会社としての機能が働かなくなっていくのは自明の理です。

 一人の限界・・・・・人材が育たない社風になっている。

経営理念がない、売上目標以外の方針がない、社のあるべき形が不明確

社員の生きがいが見えない、自分だけが回転していて周りの部下は回転していない・・自転していない惑星のようなもの

 この経営では一代にて経営体としての存在を終えることとなる。それもまたよしではある。

 一方会社組織を協調路線という方針で活動している経営者がいた。ある地方の飲食店10店舗程度の規模、年商15億

各店組織の皆の言い分を聞きながら、コンセンサスをとり進んでいくというやり方である。一見和気あいあいとした家族的な経営のようではあるが、何事か決定するのに時間がかかりすぎ、経済競争に競合に後れを取り、業績もままならず、さらに責任の所在が不明確な状態は問題の発見すらおくれていく。

 あちらを立てればこちらがたたずといった混とんとした環境を創っていくのであった。

 ここの問題は経営理念の存在、目標設定の不明確性、結果としてバラバラな経営となって行くのである。

 顧客満足が徹底できず・・・それぞれのスタッフが考えている「顧客満足」の方向性が異なっていて全体的なサービスのばらつきがみられること。となり

自然に顧客離れが起きていく

 経営方針の不在、店舗コンセプトのあいまいさ、目標数値はあってもその数値を日々の行動にうつしていくためのマニュアルの不在、これら数字の裏付けとなる翻訳者の不足、戦略のプロ不在といった弊害が経営不振をつくっていくのだ。

 真のリーダーは、まず我々の会社は一体なにをもってお役に立つのか、どこに向かって努力するのか。を明らかにしたうえで部下の職務をリードしていかなくてはならない。

 もっともわかりやすい目標は数字で表現できている事(達成可能な数値であることが望ましい)つぎに、達成している状況をビジュアルで表現している事で図面や写真などが提示されている事・・・例えはわが社の10年後の形はこうですよ、その時はみんなの収入はこうなっています・・・とか

そのために5年後は、3年後は、来年は・・・というようにブレイクダウンしていって・・だから今年の方針は云々・・・とそんな計画を作るというのがまず第一でしょう。

 独裁ワンマンの思い付きではなく、仲良しクラブのわきあいあいでもない

経営者の在り方について今日は語ってみました。IMG_6327.JPG
posted by 筆文字や隆庵 at 08:56| Comment(0) | イラストデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月18日

日本人の感性・・・

物事を表現するのに言葉がありそれは文章として明日に残り、人々の記憶にとどめられるものであります。

清少納言の「枕草子」・・・春はあけぼのから始まる四季の移ろいに関する文章はその当時の情景を見事にあらわしています。

デザイナーである私は、またコピーライターでもありマーケティング研究者でもあります。だから目に入るものや事に対してある程度敏感になっていくわけで、その一環として古文などに親しむことを自らに課しているのです。

 というのは、古文といわれる時代には写真などの画像は存在せずただ文章と絵によってのみ、作者の感情なりを表現するしかなかったのですから、現代人以上に文や絵に対する感性が豊かであったのだと思われるからです。

 むしろ不便だったからこそあのような素晴らしい文章が残っているのだと思うのです。

 人間というのは不思議なことに困難であるからこそ何事にものめりこんでいくのかもしれません。

 デジタルも便利だけど人間本来はアナログの生き物だと思うのです。

絵の具、染料、水墨、筆、などアナログに徹して、いかに情景や状況を語るかを日々鍛錬しているデザイナーであります。スーパーの店頭は野菜や果物が一番目立つところにあります。

おおきく二つの狙いがあります。一つは季節感の演出という店舗のメッセージを感じてほしいから「あぁ もう初夏だねー」などといったお客の感性に訴求する役割と、もう一つは販売力強化して旬のものを劣化する前に販売して不良在庫にしないためです。「旬だから買っておこう」のようなメッセージです。

人が人として生きていくに際し「何が正しくて、何が間違っているか」という事を常に考えておかなければならないと思うわけです。今の時代は「多様化・個性化」という名によってどんなことも自由だということで動いているようですが「多様化」という名のカオスの世界を作り上げていっているのではないかと、デザイナーは考えるのです。

posted by 筆文字や隆庵 at 11:41| Comment(0) | イラストデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本人の感性

擬人化という言葉があります。人が創り上げたものに関しての愛の表現ではないでしょうか、画像の機関車は私の脳裏にあったSLをスケッチしたものです。

「しゅっしゅポッポ、ピーっ」となる汽笛がまるで生きている証のような響きがありました。

 この感覚は今も鉄道マニアの心情に受け継がれていると思います。

機械的な機関車ではあるが、そのモノは単なるモノではなくそれぞれが命を持った存在であるという感性は 長い歴史の中で培われた「日本人のこころ」の現れではないでしょうか。

極東に位置し南北2千キロ余、長い列島に住してきた先祖、過去から現在の時を経て季という季節の移り変わりを目の当りにしてきた民族の記憶は多くの言葉を生み、その磨かれた「感性」を絵や、写真や、動画によって表現してきたのです。

 単なる気候の変化に対してもそれぞれが淡白に流れていくといった以上の想いを持ち続けている日本人、四季が春夏秋冬だけではなく二十四節気、さらに細かく五日ずつに七十二侯と分類している細やかな感性は、これらの本場古代中国よりも研ぎ澄まされていると感じるのは私だけであろうか・・・

 全てのものに命が宿っているという「古神道」の教えは釈尊の「山川草木みな仏なり」ということと相まって日本人の思考の核となって今に引き継がれている。

 季節の移り変わり、宇宙のリズムに応じた森羅万象の営みに思いをはせることのありがたさを思う今日この頃であります。
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2025年06月08日

自分が何者かを考えてみる

自分が一体何者かと日々確認することを大切に思っている。

何者であるかをという事は同時にどんな役割を持っているかについて日々考えているという事になる。

 さらに何者であるかという事は自らの人生という歴史の中で体験によって培われているように後天的な要素をももっているといえるのである。



そもそもの生まれ持った性格に周囲の環境や教育、親の在り方の影響を受け人格を形成していくのである。

少年期、青年期、中年期とそれぞれの年代に応じた問題解決の連続というのが大きく自分を構築していく。


 その時々の役割、立ち位置によって解決すべき課題のありようは異なるもののいずれにしても問題解決への努力が自らのアイデンティティに大きな影響を与えていくのであろう。

本来の自分は「徳を高める」という目的のために今を生きているのにその目的を忘れ物欲のとりことなり、そのためにあらゆる問題を惹き起こしていく。


 それぞれの問題解決のために

自分でいう言葉は自分の耳で聞くことが大事

自分の立ち振る舞いは自分の眼で見ることが大事


そうして、自分で見自分で聞いて心に恥じることがなければ人もまた敬服するであろう。


「人のふり見てわがふり直せ」

人生には順境もあれば逆境もある。これは栄枯盛衰の自然の法則で少しも不思議ではない。

だが順境の中にも逆境はがあり逆境の中にも順境がある。


 だから逆境にあっても不満や自暴自棄の気持ちを起こさず、順境の中にあっても慢心や怠る心を起こしてはいけない

 ただ敬の一字をもって終始一貫とするが良い。


  心静かに自然が生み出す草花をみていると少しも無理なく強いてやってやろうという気構えは全くない・・・
posted by 筆文字や隆庵 at 14:07| Comment(0) | イラストデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする